会員コラム「私の宝」のご案内
本会発行の広報誌「宅建NEWS」にて連載中の会員投稿コラム「私の宝」。
毎号、会員の方が個人的に暖めてきた大切なことや、思い入れのあるエピソード、大好きな趣味や人生観を気ままに語っていただくコーナーです。
東日本大震災の単独ボランティア活動体験記
岩田建設(秩父支部)
代表取締役 岩田 和幸 さん
矢も盾もたまらず飯舘村を目指した
東日本大震災のニュースを聞いて真っ先に浮かんだのは、福島県飯舘村の菅野典雄村長の顔だった。氏の住民主体の村づくり理論と実践は、地方自治体関係者の中ではよく知られていた。私もその姿勢に共鳴して、合宿研究会などで何度も同席して、旧知の仲だった。国の平成大合併に抗して、村民と一体となってようやく軌道に乗りかかった村づくりが、震災と原発の被害によって壊滅的な状況に陥っているとの情報。
私は矢も盾もたまらず、町議会議員という立場から町民に呼びかけ、2トントラックに支援物資を詰め込んで飯舘村を目指した。
集落も船も車もガレキと化して…
その日は、緊急車両しか通行できなかった被災地に一般車両の進入が許された日だった。東北道もひどく被災していたが、村に近づくにつれて道路の破壊は激しく、橋が落ちていて迂回させられる所も幾つもあった。
やっとたどり着いた避難所となっていた学校の体育館で、菅野氏は陣頭指揮にあたっていた。積んでいった野菜や日用品を見て、疲れきった顔に笑顔を浮かべた菅野氏に運転の疲れも吹き飛んだことを覚えている。
それから相馬市に回り支援のあり方の需要を聞く。帰ると、支援物資の集積場はいっぱいになっていた。私はトンボ返りで再び飯舘村と相馬市を目指した。
次に、気仙沼市唐桑半島の知人から支援の需要が入った。2トントラックに日用品を満載して唐桑半島へ。港という港は壊滅状態で、集落も船も車もガレキと化して積み上がっていた。
7年間に約70回に及ぶ東北支援
避難所に支援物資を降ろすと、私が建築業と知って、「ゴミ置き場に屋根をかけて」、「ここに棚を吊って」、「出入口の庇を生子(なまこ)で囲って」、など次々と需要が出る。内陸の店に資材を求めたり、帰宅して材料を運んだり、このようにして福島から陸前高田まで支援行動は7年間に約70回に及んだ。
この4月、唐桑に行った時には、知らなければ被災地とは分からないような景観に戻っていたが、実質的な復興はこれからであると思う。私の7年間のボランティア活動で沢山の人達と知り合い感謝され貴重な体験をさせてもらった事は、私の生涯の宝として心に残ることと思う。また、秩父支部会員の皆様には支援物資調達等についてご協力頂いたことに大変感謝いたしております。
広報誌「宅建NEWS」2018年夏号掲載